2017年6月30日金曜日

スウェーデンで母語を話すことを禁止された子供たち。映画『サーミの血』が描くのは差別の歴史か、現状か。



スウェーデンでフィンランド語を研究する研究者と活動家によれば、スウェーデンの学校でのフィンランド語の使用が制限されているとのこと。YLEニュースによれば、スウェーデンの新聞Dagens Nyheterに掲載された研究者と活動家らによる論説で、フィンランド語を母語とする生徒たちがフィンランド語で会話することが禁止されたり、フィンランド語話者である学校の先生同士がカフェテリアでフィンランド語を話すことまで禁止されたりしているという現状が批判されています。

スウェーデンでのフィンランド語は2000年から公式少数言語という立場にあり、50以上の都市で要請があれば幼児教育と高齢ケアが保証されています。現在スウェーデンに住むフィンランドにルーツを持つ人は70万人いるとのこと。法律の面ではスウェーデンでもフィンランド語で教育を受けさせることができ、そのためスウェーデンの学校にはフィンランド語を話す教師がいるのです(なお、フィンランドでも同様に移民としてフィンランドに来た人々に対し、同じ言語を母語とする子供が3人以上同じ学校にいれば、その言語を「母語」としての言語の授業を行うことが可能です)。

しかし、フィンランド語での授業を一歩出ると教師も子供たちもフィンランド語で話してはいけないというのは異様ですよね。

スウェーデンのフィンランド人教師たちの組合で行われた調査によれば、フィンランド語教師に対するこういった扱いはスウェーデン全国で起きているそう。また、フィンランド語のメディアでの露出も減らされている傾向があり、例として、図書館でのフィンランド語の本が減らされたり、図書館でフィンランド語話者によるフィンランド語での詩の朗読を行うと言った、他の言語グループでは許されているイベントも拒否される傾向が近年あるよう。

今回の報道以前から職場内でのフィンランド語話者に対してこのような差別を受ける話は聞かれました。この差別の根底には、スウェーデンとフィンランドとの間の歴史が関わっているでしょう。フィンランドは昔はスウェーデン王国の支配下にあり、そのために人の行き来もありましたし、70年代のフィンランドからの移民もあるでしょう。70年代失業率が高かった頃、何万人ものフィンランド人がスウェーデンに渡りました。そうしてスウェーデンに渡ったフィンランド人たちは主に単純労働につき、軽蔑されていました。

しかし、大人同士の職場での差別はさておき、子供が母語でしゃべれないというのはフィンランドからすれば時代遅れの差別です。

フィンランドでの公式少数言語はサーミ語、ロマ語、手話であり、これらの言語を母語として授業を受ける権利があります。また、フィンランドには、スウェーデン語系フィンランド人という、スウェーデン語を母語とする人たちも人口の5%存在し、スウェーデン語はフィンランドの国語となっています(これに関する詳細は『ある日フィンランドで、北極圏に行ってきた。―ラップランドの話とフィンランドから見たスウェーデン』に記しています)。

しかし、現在のスウェーデンで見られるような差別がフィンランドにも無かったかと言えばそうではありません。60年代までフィンランドではサーミ人たちが同じような扱いを受けていました。

サーミ人はノルウェー、スウェーデン、フィンランド、ロシアにまたがるラップランドに住む、ヨーロッパ唯一の先住民族です。しかし、トナカイの放牧をして暮らす彼らは原始的に見られ、差別されてきました。

昔フィンランドでは、学校でサーミ語をしゃべってはいけなかったのです。ラップランドの人口密度のせいで多くのサーミ人たちは寄宿学校に通っていました。なのでサーミ語が話せるのは家に帰る週末だけ。平日にサーミ語を話せば殴られるような環境で育ち、また学校の外でもサーミ人であるというだけで差別される存在でした。とはいえそれは60年代までの話。今ではサーミ人や文化に対する知識こそ足りていないものの、そこまで明確な差別はされていない状況ですし、国の対策としてサーミ語で基礎教育が学べる学校があります。それでも現在の高齢世代のサーミ人たちはこれがトラウマになり、子供にサーミ語で話してくれなかったり、サーミ語を軽視するといった態度を持つ者もいるようです。

そんな中でスウェーデンの学校で、フィンランド語を母語とする子供たちが母語で友達と会話をすることが許されない、大人が職場で休憩時間中に好きな言語を話すこともできない状況は、時代遅れの差別的な光景にしか見えません。

まあ、日本人だって同じようにアイヌ人を差別し、アイヌ語を殺した訳ですけどね。



というところで投稿を終えるつもりだったのですが、スウェーデン・ノルウェー・デンマーク合作映画『サーミの血』の日本版予告編を目にしたのでこれについても書かないと。

この映画は1930年代、スウェーデン北部に暮らすサーミ人たちの受けてきた差別、そして学校で母語を禁止され、母語を話すことで体罰を受ける様子、そしてサーミであることを隠して生きようとする様子などが予告編では描かれています。この作品を描くアマンダ・シェーネル監督もサーミ系。





動画はUPLINKより。ちなみにこのYouTubeにアップされている予告編はフィンランドからは見ることができないのでeiga.comで見ましょう(なおeiga.comでは「北欧の少数民族サーミ人」とされていますが、間違ってはいないものの、より正しい認識としては「原住民」もしくは、サーミ人も元をたどれば現在の場所まで移動してきたので「先住民」)。

『サーミの血』日本語サイトでは「北欧スウェーデン、知られざる迫害の歴史」などと書かれていますが、果たしてこれは「歴史」なのでしょうか?それとも映画で描かれるような体罰こそ無いにせよ、これはスウェーデンの現状とどう違うのでしょうか?ある意味この映画は現在のスウェーデンにも残る言語/民族の迫害を、歴史を交えて描いた作品とも言えるのかもしれません。



トップ画像はラップランドに行ったときに撮影したサーミ人により放牧されるトナカイたちの写真。詳細は『ある日フィンランドで、北極圏に行ってきた。―ラップランドの話とフィンランドから見たスウェーデン』で読める。





[via YLE]

(abcxyz)

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